2014年08月24日更新百済寺
奈良で寿司・和食弁当・法事料理の出前・宅配はおまかせ!甚八橿原店吉村です。
日本書紀で第34代舒明(じょめい)天皇11年(639年)12月の条に「是(こ)の月百済川の側(ほとり)
に九重塔(ここノこしろノとう)を建つ」とあり、聖徳太子が平群郡熊疑(くまごり)に建てた熊疑精舎をこの
地に移し、百済大寺と名付たと云われています。その後、火災にあったが、天武天皇の母で女帝第35代皇極
(こうぎょく)天皇の時に再建し、674年(天武2年)第38代天武天皇の時に至って伽藍が飛鳥の高市(たけち)
郡に移り「高市大寺」と称し、更に676年「大官大寺」になり、平安遷都で平城京へ移って、現在の「大安寺」
になりました。なお、百済大寺の所在地に関して諸説あり、なかでも飛鳥の北、香具山麓説が有力ですが、
当地の百済説も根強く、両説とも有力な遺構が発見されていないので決め手に欠け、はっきりした事は判って
おりません。また、現在の百済寺は、江戸時代の初期、1675年(延宝3年)大修復をされましたが、その後
再び荒廃し、昔の面影を伝えるものは、三重の塔だけだそうです。