2014年11月03日更新高取城跡
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芙蓉城、鷹取城とも呼ばれ、城内の周囲約3キロ、郭内の周囲約30キロに及び、日本三大山城中随一の「高取城」は、本田氏が断絶の後、1640年(寛永17年)植村家政が2万5千石で入城して大改修を行い、麓からも眺められ「たつみ高取雪かと見れば雪でござらぬ土佐の城」と歌われ、明治2年藩籍奉還まで230年間14代続き、明治中頃廃城したけど、幕末1863年(文久3年)8月に天誅組が五條代官所を襲って代官鈴木陣内以下5名を血祭りに挙げ、千余名でもって、8月26日婦女と子供を加えた約五百名が守る高取城を攻めるべく押し寄せたが、大阪夏の陣で活躍した大砲を麓(鳥ケ峰)に据えて撃退しました。